須永菜穂子
経歴
東京学芸大学教育学部音楽科ピアノ専攻卒業
ザルツブルグモーツアルテウム音楽学院ピアノ教育科留学
中学・高等学校教諭一種免許状(音楽)保持
指導実績
ごあいさつ
私自身は、1998年より、シンガポールでピアノのレッスンを行ってきました。
しかし、当然お受けできる生徒さんの枠には制限があり、新しく来星された生徒さんが、日本人講師が見つからないという理由で、泣く泣くピアノを学ぶことを断念してしまう、という悲しい状況を何度も目の当たりにしてきました。
同時に、日本で行っていたピアノのレッスンを中断し、来星された素晴らしい講師の方々に活躍の場を提供したいという気持ちも、大きな後押しとなり、Learning Stageを始めました。
外国人として、シンガポールで就業するには、法的な制約や、本帰国、別国への移動など、乗り越えなければいけない壁がいくつもあります。
しかしながら、一人でも多くの生徒さんが、ピアノを弾くことを楽しみ、ピアノによって人生をより豊かにしていただきたいと心から願い、頑張ってまいります。
私は、4歳でピアノを習い始めました。母が見つけた近所で人気のピアノ教室でした。音大ピアノ科卒の昭和の先生、というイメージそのままの厳しい先生でしたが、発表会、おさらい会、クリスマス演奏会などの行事も多く、楽しくレッスンを受けていました。
近所の友人は、皆その先生に習っていたため、ピアノのレッスンとはこういうものだと、練習に励んでいました。
また、小学校4年生の時の音楽の先生がとても素敵で、憧れていました。音楽の時間に、時間があれば、演奏を披露して下さり、毎回とても楽しみでした。昼休みに音楽準備室に行っては、先生と話をしたり、ピアノを弾いたり、素敵な時間を沢山いただきました。
その先生が顧問の鼓笛隊や、吹奏楽、合唱部など、積極的に参加し、学校へ通うのは、そのためと言っても過言ではない生活でした。
そうであっても、特にピアノで進学したいという気持ちもなく、ピアノを弾くことは、受験勉強の合間の癒し、気分転換の意味合いの方が強く、高校は、自宅近くの進学校に進みました。
その頃、先生の引っ越しに伴い、ピアノの先生が変わり、ピアノを弾くことを楽しむことを第一に考えた、生徒と一緒になって音楽を創り上げてくださる素晴らしい先生に出会うことになります。
「あの怖さ、緊張は何だったのだろう。。」と思うくらい、リラックスしたレッスンで、毎週ワクワクした気持ちで、レッスンに臨むようになりました。その先生は、躓きに対して、とても丁寧に、その克服法を一緒になって一生懸命に考えてくださり、決して妥協をしない先生でした。この時、新しい世界が開けたような気持になりました。
もっと早くこの先生について習っていたら、私のピアノの世界は、全く別物になっていたのでは、という気持ちになりました。
この経験から、幼少期にどのような教育、レッスンを受けるかがいかに大切で、生徒一人一人にに大きな影響を与えることを改めて感じました。学校の先生よりも、ずっと長い期間その生徒さんに関わる可能性も大きいですから。
大学は教育学部の音楽科に進みましたが、文部省(現在の文部科学省)主催の、「教員にも国際的視野を!」をキャッチフレーズにした留学制度がありました。
数名のピアノ科の先輩が既に学んでいたザルツブルグのモーツアルテウム音楽学院への留学を目指し、準備を始めました。
ドイツ語の試験に加えて、ピアノの演奏の審査があり、とても大変な日々となりました。努力の甲斐があって合格、モーツアルテウム音楽学園Abteilung5というピアノ教授法を学ぶ学科に国費留学する機会を得ました。
ザルツブルグ音楽祭でも有名ですが、サウンドオブミュージックで有名な小さな街で、ミラベル庭園を通って毎日学校に通いました。
そこでは、主に初心者・初級者、及び中級者へのレッスン法を学びました。
一人一人の特徴を考えての教材の選定法、ソルフェージュの教授法など、生徒との対話のポイントなど、実践的な授業が多く、大変有意義な時間となりました。
ピアノは、優しいオーストリア人の女性の先生のレッスンを受けましたが、「根拠のある表現法」をとても大切にしていました。感情に任せて表現するのではなく、表現の根拠となるものをいつも考えなさい、ということ言う指導です。
その根拠は、表現記号の理解、楽曲分析、和声の理解に加えて、作曲家の思い、曲のできた時代背景等、様々なものが含まれます。
そういったことを考えず、どんなに感情移入しても、単にわがままな、自己流の演奏になってしまいますね。
考えてみれば、当たり前なのですが、初中級の時から、その年齢なりに、これらを考えて演奏することが大切です。もちろん、それぞれの生徒さんの個性もありますから、簡単ではありません。だからこそ、レッスンに様々な工夫が必要になるのです。オーストリア人のお子さんへ実際にレッスンをする授業もありました。教授の前でレッスンを行う形式でしたが、堅苦しくなく、一緒になってレッスンに入ってきてくださり、身をもって学ぶとはこのことだと思いました。
もう一つ、孤独になりがちなピアノレッスンであるからこそ、披露する場を作ることに、とても力を入れていました。
モーツアルテウム音楽学院では、毎週、夜の8時頃から「演奏の夕べ」が開かれ、レッスンで仕上がった曲を演奏することができました。
ご近所の方も聞きに来られる、オープンなもので、人前で演奏することが、生活の一部になっていました。日本でレッスンを行っていた時は、小さなおさらい会を開き、演奏の場を作っておりました。シンガポールでは、出張レッスンという制約もあり、なかなか難しいですが、発表会の開催を、定期的に行っていきたいと考えています。
シンガポールという外国で、レッスンを長期に継続することは難しく、悲しいお別れを繰り返してまいりました。一定期間であっても、レッスンを通し、多くの生徒さんと、楽しく充実した時間を共有できたこと、深く感謝しております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。