問題には多角的なアプローチを

一昔前、英語があまりできない子どもが、アメリカで学校の教師に「ヒアリング」のテストを受けるよう言われる時代がありました。

ここでポイントなのは、「リスニング」ではなく、「ヒアリング」テストであること(゚ー゚;

じっくり話を聞くことができないので(=リスニングの問題)テストを受けるのではなく、耳が聞こえていないよう(=ヒアリングの問題)だから検査を受けるよう指示されているのです。

第二言語習得に関する知識が乏しかった頃は、子どもが英語を理解できないのは、言語の問題ではなく、耳に何かしら問題がある、という認識だったのですね。

教師からすると、言葉が分かっていないという理解がなく、身体的な問題があるようだ、という見解でした(><;)

同じように、昔は海外で子どもを産むと、蒙古斑を見たお医者さんが母親の虐待を疑う、という時代もありましたね(_ _。)

蒙古斑というと、赤ちゃんのお尻のあの青いアザですが、欧米の子どもには、あまり見られない特徴なので、蒙古斑の知識を持っていない医療従事者によって、そういう誤解が生まれたのです(  ゚ ▽ ゚; )

それと似たような現象ではないかと感じるのが、最近増えているように思える、インター校で何か問題が浮上した場合、学校やスクールカウンセラーから、先ず発達・知能検査などの心理テストを受けるように促されるケース(・・;)

もちろんそれで問題が究明されたり、改善されたりすることもありますが、その必要がない事例にも遭遇してきました。

同様に、第二言語としての英語学習の問題が原因で、ラーニング・サポートと呼ばれる特別支援学級の対象となってしまった不幸なケースも見てきました。

英語の補習クラスと学習障害は全く別物です。

蒙古斑やヒアリングテストと同様、これも時代の流れが運んできているものなのかもしれませんが。

いずれにしても、教師や親が診断名を急ぐあまり、子どもが不要なテストを受けたり、親が診断名に翻弄されたりしまっては本末転倒です。

実際のところ、心理テストの結果に付随してレポートに提案されるアドバイスは、教育従事者が提案できる範囲内のものも多く含まれることがあるように見受けられます。

中には、もちろん診断が必然という場合も当然ありますが、そうではない場合、安易に一元的に、一つの結果から「解決」を求めてしまうのは短絡的かもしれません。

様々な専門家からの意見を取り入れることにより、実は別のところに原因が潜んでいる、といったヒントを見出せることも良くあります。

大学などのアカデミックな場面や、企業間でも、異業種間交流が盛んになってきている流れがありますが、学校現場でもこうした協力関係が更に進み、それが今後のー THE NEW NORMAL ー 新常識であっていってほしいですね。

教育現場での問題解決には、より幅広い、多方面による連携アプローチが不可欠ですね。

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