7年間、本当にありがとうございました

 

(ご報告)

私、内田明日香は2015年より在星邦人へのピアノ出張レッスンを行ってきましたが、一身上の都合により2022年末をもって終了致しました。

7年10カ月もの間、たくさんの方々に習っていただき親御さんとも殆ど良い関係を築き、今でも連絡を取り合ったり日本でもお会いしたりとレッスンの他にも有意義なことがたくさんありました。

この度、今までの生徒さんやご家庭にも挨拶のメッセージをしました。
嬉しいことにほとんどの方からご返信いただき、
幼稚園生だった子は高学年、
小学生だった子は高校受験、
中高生だった子は大学生や社会人等、
7年経つのですからそれら皆さんの成長は当たり前ですが本当に月日を感じ、
そしてそれぞれの近況をお聞きすると感慨深く、皆さんのシンガポール生活にピアノも入れてもらったこと、光栄に思います。

いただいた近況メッセージを一部紹介させていただきます。

”発表会で弾いた曲を今もよく弾いている”
”日本でも頑張って続けている”
”受験で一旦はやめたが時間ができたら習った曲を時々弾いている”
”幼少だったのでシンガポール生活はあまり覚えていないがピアノレッスンのことは覚えている”
”日本に帰ってからは習っていないが音楽系クラブに入り部長を3年間つとめた”
“学校の聖歌行事の伴奏をしている、ピアノ経験が役に立った”
”先生のおかげで音楽好きな子になった”
”発表会はとても良い経験で今でもよく覚えている”
”他海外でも新しい先生についたがシンガポールでは良い先生に習っていたようだと言われた” (お世辞だとは思いますが・・笑)

そして本当にありがたいことに、
”異国の地で日本人の先生に教えていただけたのは本当に良かった”
”今も続けていられるのは先生のおかげ”

というお声をいただきました。

皆さんが一生懸命にやってくれたから、音楽やピアノに興味を持ってもらえたからこちらも研究に余念はなく、画一的なレッスンではなく教材等も様々考え、新たに音楽関係者との交流が出来たりと今までより多少ステップアップできたこともあり、こちらこそ皆さんには御礼を言わせていただきたいです。

ここ数年は大変な世の中になってしまいましたが、それを乗り越えて皆さんはまだまだこれから羽ばたいていかれるでしょう、本当に楽しみです。
ずっとずっと忘れません。

いつも心に音楽を、ピアノを!

本当にありがとうございました。

2022年12月 すっかり慣れてしまった常夏のクリスマスを過ごしながら

内田明日香

 

 

 

 

 

今さらですが・・・

こちらのブログもはじめてからしばらく経ちました。
普通ピアノ講師や教室のブログというのはレッスンの内容、生徒さんたちの細かな情報等、日本のピアノ講師のブログならそういったものが多いですし、又そうじゃなきゃ集客に繋がらないと思います。

ただ、海外における狭い邦人社会において生徒さんの個人情報の詳細を掲載することは私は好まず(離星される生徒さんで許可を得た方のみ最後撮影・掲載していました)学習塾と違い学年や年齢で教材や進め方が決まっているわけではなく人によって様々ですので、レッスン内容もすべてを記すことはしませんでした。

ですので ”一体どんなレッスンをしているのか” ”ちゃんとレッスンしているのか” ”生徒はどのくらいいるのか” ”人気がある講師なのかそうでないのか?”(笑)などイマイチ様子がわからないままの方も多かったではないでしょうか。

しかしHPやブログをみてのお問合せもあったり、又離星された生徒さんご家庭もずっとみていただいていたりと少しのコア層の方々!もいらしたようで感謝しております。

ですので本日はプロフィール欄の音楽歴以外のことを少し。
今更ですけど・・・・

私は音楽高校、音楽大学ピアノ科と来て大学院も受けましたが受からなく、
色々思うことがあり企業に勤めたのでした。

ピアノも完全に辞めたわけではありませんでしたが、いわゆる”街のピアノの先生” ”音楽教室のピアノの先生” はせず、学生時代から教えていた生徒さんは少しの間継続していたものの主にはフルタイムで企業に勤務し、家で時間があれば弾くのは続けていました。

企業勤務は思ったより楽しく、時には土日も勤務することがあったり忙しくしていた時期もあったので音楽と離れようかと思ったことも一時はありました。

ただ、休みを利用して行ったウィーンへの音楽研修旅行でさらなるクラシック音楽の魅力を体感し、
20代半ばごろ散歩中にどこかの図書館で偶然みつけたオーケストラとの協演オーディションパンフレットをみて受けてみたら運よく受かり、オーケストラと少し協演させていただけたことなどで、やはりピアノはやめられない、と再確認し、しばらくは二刀流で勤務とピアノの研鑽を続けていました。

ちなみに現在はピアノを指導されている方も一方で違う仕事を持ったり、勤務したり、という方は多いと思います。
ただ、〇十年前の私達の時代はまだ珍しいほうだったかな、今では様々な分野で”二刀流”は珍しいことではありませんね。

音楽の学校を出て演奏で生活していけるのはほんの一握りだとしても、学校を出てすぐたくさんの生徒さんをもち教室を主宰したり、楽器店の音楽教室の講師をしたり、結婚したら又自宅で教えたり、ピアノ講師ってそういうものなんでしょ、と思われるでしょうがはい、大昔はだいたいそんな感じです。
私ももう大学を出たのは大昔の部類に入るのかもしれませんが(笑)私はちょっと変わり者でした。

しかし、企業勤めは音楽しかしてこなかった自分には貴重な世界をみることができ、人脈も出来、当時の方々には本当に感謝しています。
思い出としては残業中にその社員食堂で夕食を取っていた際に見えた天神祭(大阪・7月下旬)の美しい花火、いつもはもの凄い人で花火が見られる場所にはなかなか行けないのですが、高層階の食堂からよく見えた花火は今でも覚えておりまさに役得でした!

話それました。

結婚後は関西圏ですが今までの居住区とは別の馴染みのない所に移ったので、
近所などで生徒さんを集めて教室を主宰することはなく、
相変わらず又別の会社にいってパート勤務をしながらピアノを弾くことは続け、
様々な演奏会にも出演したり、カルチャーセンターで大人の方対象の講座を持たせていただいたりしていました。

その時々で色々出来たことは大いに財産にはなっているものの、
20代はいつも葛藤の日々ではありました。
親も娘の将来が気が気でなかったと思います、こちらが親になって何となくわかります。

そして出産後もやはり外での勤務とピアノを続けました。
資格を取り学校法人に数年勤め、それから夫の仕事によりシンガポールに家族で来て今に至っています。

な~んだ、ピアノの先生一筋で来たわけじゃないのね、
う~~ん、そんな先生、それでいいの?と思われる方もいらっしゃると思います。

ですが書いたように私はこの経験は貴重で無駄ではなかったと考えておりますし、又、知人には”へぇ、そうだったの~、あすかさん。ウチの子もそういった人に教わりたかった” と言っていただいたこともあります。

もちろん皆さまには好みやニーズにあった講師を探していただけたらと思います。学歴だけではなく職歴を聞いてみるのもいいと思いますよ。

昨今は学校教員も民間企業を経てから教員になったり、
政治家もサラリーマン経験のある方は多いですね。
私もそういった経歴の方は良いか悪いかは別にして興味をもって支持することもあります。

生徒さんのご家庭には細かくこのようなことはお話したことはなかったのですが、果たしてどう思われるでしょうか??

(6歳ぐらいの発表会、あの頃はほとんど緊張することなく舞台に上がるのが楽しかったです)

 

 

 

 

 

 

Gold Starいただきました


数か月前のことですが、地元音楽教室が主催しているちょっとしたコンペがあり、私が参加してきました。
年齢、国籍不問ということ、カワイの最高級モデル”Shigeru KAWAI”のグランドピアノが弾けるということ、先日投稿した生徒さんとのグランドピアノ練習会、弾き合い会の会場を探しがてら、ということ(こちらの会場は残念ながら借りられませんでしたが)でレパートリーにある中の曲を一つ持っていきました。

       
地元のティーンズたちの中に1人、浮いていたかもしれませんが(笑)
“Gold Star”という一番上の賞と審査員の先生のありがたいご講評をいただきました。

何年経験を積もうが人前で弾くことはやはり大変です。
でも”どこどこでなになにを弾くんだ”という目的がないとなかなか自分のレパートリーになっていかなく、一生懸命練習したものや習ったものでもすぐに出来なくなってしまうことはありますので、このような機会があったことはありがたいです。
本当は生徒さんにもご紹介したいところであるものの、
地元のコンペはやはり地元のスクールホリデーに合わせて行われていますので、
予定が合わせにくいこともあり生徒さんを地元コンペに出したことはありません。

目標があるのはいいことですがコンペ出場、結果だけが目標でなく、又こちらも生徒さんの実績を講師の売りにすることは好んでいません。
けれども多くの生徒さんを多くコンペに出してらっしゃる先生方は大変だろうなといつも想像します。

グランドピアノ練習会&公開レッスンを行いました

普段は出張レッスンでほとんど生徒さん宅は電子ピアノ、そして私も日本で所有していたグランドピアノはこちらに持ってくることができなかったので、
発表会以外でもグランドピアノを触れてもらう機会を作ろうと今までにも島内スタジオを借りてグランドピアノ練習会を開催してきました。

諸々の事があり今回は久しぶりの開催です。
直近で習っている曲、今まで習った曲、何でもとにかく1曲はいつでも弾けるようなレパートリーを持っていてもらいたい、というのが私の理念です。
そして発表会でなくてもいつでも人前でも弾けるレヴェルに、が理想ですね。

自由参加としていたものの朝から皆さま全員来て下さいました。
持ち曲を弾き終わったらその場で少しミニレッスン、
今まで言っていたことの他にグランドピアノの鳴らし方、音量のコントロール等、会場でしかできない表現のアドヴァイスなどを実施しました。

個人レッスンではありますが自由入場としているので他人のレッスンも見学できます。人のレッスンをみるのもなかなか機会がないことですし、良い経験だと思います。
保護者の方からも”どの生徒さんも先生のアドヴァイス後はガラっと弾き方が変わったのが良くわかった”
というご意見もいただきました。

楽器の演奏はテクニックの取得はもちろんのこと、楽器をどう鳴らして表現するか、どのようにして曲を自分のものにし自由に表現するか(もちろん基本的なルールは守ったうえで)、いつも人前で演奏する状況でなくても誰かに聞いてもらっていることを念頭において、自分なりに完成度の高い演奏ができるか、をこちらもいつも考えてお伝えしているつもりです。

短い時間でしたが、皆さん頑張ってそれぞれ弾いてくれ、きょうだいでの連弾も見て欲しいと楽譜を持ってきてくれたり、撮影・録画はもちろん可能ですからいつもよりちょっと綺麗なお洋服で来てくれた生徒さんもおられました。

島内借りられるグランドピアノのスタジオも実は少ないのですが、
とあるローカルの音楽教室で一般にも貸してくれるところがあり良かったです。

時間限りがあり私は次から次へとレッスンにかかりきりでしたが、
生徒さんや親御さん達が自主的に椅子出しやドアの開閉をして下さり、そして席も撮影時には互いに譲り合ってくれていたようで、心より感謝しております。

習っているからにはたくさんの自分のレパートリーを作っていって下さいね。

サッカー観戦の定番応援歌といえば

普段は野球派、相撲派の私ですが、サッカーも国際試合は見ます。
サッカーワールドカップ2022、カタール大会が開幕しました。
日本はあの強豪ドイツに逆転勝ちし最高のスタートを切りましたね。

さて、サッカーの定番応援歌といえば真っ先に思いつくオペラ ”アイーダ”(ヴェルディ作曲)の”凱旋行進曲”。

そういえばピアノ編曲の楽譜があったなぁと探してみましたら、ありました!


↑ いつも流れる有名な部分です。原曲はトランペットです。

ピアノで弾くよりも電子ピアノの数ある音色の中から何か合うものがいいかなと思い、オーケストラの音色で弾いてみましたよ。

サッカーの試合でなくても気分が上がるような曲ですね。
オペラ劇中ではエチオピア軍に勝利したエジプト軍が凱旋して帰ってくる場面で流されるまさしく”凱旋行進曲”です。

ドイツ戦の試合があった日にこれを弾いて勝ちましたので、
次回も試合の前に弾いてみます(笑)

芸術・食欲の秋 in SG and JP

お、こちらにはない風景ですね。日本も近頃は暑いか寒いか、だけのようになり、春や秋の風景がとても短い気がしますね。
ですので久々の秋を少しだけ味わってきました。

”芸術の秋”ということで、まずシンガポールでは4年ぶりに又来星してくれたマルタ・アルゲリッチさんの演奏会へ。
4年前も記事にしました。
現在は81歳!まだまだ世界中で様々なプログラムを持って演奏されています。

今世紀最高のピアニスト、マルタ・アルゲリッチ来星!

カーテンコールの撮影はSGは可能) (こちらは招聘元のSNSよりお借りしました。演奏曲はシューマンのピアノ協奏曲。アンコールもシューマンの小曲より)

そして興奮さめやらぬまま翌週はアルゲリッチの日本公演、曲目も共演者もSGとは又違うので私も又行っちゃいました(笑)

東京スカイツリーのおひざ元、墨田区のすみだトリフォニーホールにて日本の優秀な若手やベテラン演奏家と共演。

日本ではホール内撮影もカーテンコール撮影もできず、又”ブラヴォー!”等の声かけも依然禁止、休憩時の喫茶コーナーでもお客さんはほとんど静か、等会場の雰囲気はシンガポールとまるで違いましたが、
変わらないのは彼女の演奏スタイル、ゆるぎないテクニック、センス、何の曲を聞いていても終わるのが名残惜しいぐらい堪能しました。
まだまだお元気で弾きつづけていただきたいです。

数日間だけの東京滞在だったものの駆け足で動き回りました。
関東方面に本帰国された元・生徒さん母親に久しぶりに会ってお話や食事をしたり、行きたいと思っていた上野・国立西洋美術館の”ピカソとその時代” 展で絵画を楽しみ、久々に紅葉風景を上野公園で愛で、

そして忘れてはいけない、日本の美味しい物も短い期間でしたが色々と!
こちらは同じく上野近辺の鰻屋にて。


関東式の鰻は普段あまりいただかないのですが、やわらかくて美味しかったです。

このようにして両方の国で”芸術の秋”を体験し、英気を養ったので2022年残りの日々も頑張っていきますよ。

 

あのブーニンは今?

先週、日本のTVにてかつての天才ピアニスト、スタニスラフ・ブーニン氏のドキュメンタリーを見ました。

”ブーニン現象” 1985年のショパン国際ピアノコンクールでの19歳、当時史上最年少優勝、センセーショナルな演奏と共に一代ブームを巻き起こした、あのブーニン氏、ピアノやクラシック音楽に詳しくなくてもアラフォー世代以上の方々は”ブーニン”の名は聞いたことがあるのではないでしょうか。

当時のショパンコンクールに同じく参加した日本人のピアニストの方に直接お話しを聞くことがありましたが、予選時からもう周りでもブーニンが優勝するだろうと言われていたようですよ。

その後世界各地での活躍、そして来日、日本でも大人気でそれはそれはもてはやされました。
TVCMなどにも出ておられたかな、
私も大阪、ザ・シンフォーニーホールの演奏会に行きました。

子供だったのであまり詳しくは覚えておりませんが、
当時はもうピアノの道に行こうと考えていた時期で、その演奏会にいった後は何となく影響されてしまったのか、ブーニンっぽい個性的な演奏になっていたようで当時習っていた先生には”ブーニンの演奏の真似はしないで!”と怒られたことはよく覚えています(笑)

でもこういったスターには光と影が付きもの・・・

コンクール後は自由の効かないソビエト(当時)から命がけの亡命(西ドイツへ)それからさらに経って左手の故障、度重なる病気、怪我、等で一線からは姿を消してしまいました。

日本の写真週刊誌には車いす姿で掲載されていたり、
とある日本公演でも途中で止まってしまって演奏不可能になり中断した、などととかつての輝きは感じられないような情報もあり、非常にせつなく思っておりました。
皆が”あのブーニンが・・・”と思ったはずです。

今回は9年の空白を経て日本でこの夏復帰コンサートをするまでのドキュメンタリーです。

復帰の影にはマネジャーだった日本人の奥様の献身的なサポート。
(写真後ろの女性)

やはりステージに立った人はステージに帰りたいと思います、
そしてステージに立たせてあげたい一心で支えてきた奥様の熱意と愛がひしひしと伝わる番組でした。

一時は切断かというほどに悪化した左足も、手術で切断は免れて特注の靴やピアノペダルで演奏も可能です、本当に良かった!

かつての超絶技巧ではなくても人生を重ねてきたからこそ出せる音や音楽作り、
いやいや、練習の映像をみていますとかつてのブーニンさんを思い出しましたよ!
弾き姿も変わってないです。

今は難しくても又ぼちぼちと昔のようなショパンを聞きたいなと思いました。
体調を鑑みながらぜひさらなる復活を願っています。

 

 

 

大人も楽しめる音楽絵本

以前に音楽やピアノを題材とした絵本を紹介しました。

 

絵本読み聞かせと音楽

音楽絵本はもちろんピアノだけでなく、他の楽器、又オーケストラのお話等の絵本も色々とありますが、やはりピアノを題材にしたものが多いという印象です。

今年の春にも新しいピアノ絵本が出版されたようでご紹介したいと思います。


”最後の展開に涙する。”
え?何?なになに? とちょっと興味わきませんか。

そで部分の文言より。
ここを読むとこういったこと何となくこの後の展開も少し想像出来るでしょうか, このような経験をされた大人も結構いらしゃるかもしれません。

グランドピアノほどではないけどアップライトピアノも結構場所を取ります。
ライフステージの変化により住まいも変わっていきますが、
住まいが変わる度にピアノも都度持参出来る人はそう多くはないでしょう。

どこかで手放す決断もしなければいけないかもしれない、
そしてその後あのピアノは今?・・・・
思い出のあのピアノは今?・・・・

しんみりしたり、ほっこりしたり、大人なら過ごしてきた時間と共に思い出すことも多いのではないでしょうか。
興味ある方はぜひ読んでみて下さい。

https://www.ymm.co.jp/p/detail.php?code=GTB01087087

曲の好みも変化して


日本では今時期 ”残暑お見舞い申し上げます”というご挨拶なのでしょうが、
こちらでは変わらず毎日暑く過ごしています。
日本の真夏よりも過ごしやすいものの、当地も年々気温は上がってきているように感じます。

現在は一時帰国中の生徒さんが多く稼働はゆったりしています。
先日又元生徒さんのお母様から声をかけられました。
とある物を買うために少し並んでおりますと、すでに買い終わった方から声をかけられてふと見ましたら今春、受験準備のためにレッスンをご卒業された女子生徒さんのお母様でした。

少しお話しておりましたら、今でも合間に気晴らしにピアノは弾いていること、
最後に仕上げた彼女憧れのショパン作曲、ノクターン第2番もずっと弾いているとお聞きしとても嬉しかったです。
このようにいつでも何か一つ弾ける曲、レパートリーを作っておくということをいつも皆に言っておりそのように指導しているつもりです。
常に真摯に取り組んでくれていたので受験も頑張ってくれると思います。

さて、日本はお盆時期ですね。
昨年の8月に急逝されたピアニスト斎藤雅広氏のご命日前に新しいCDが発売され、手元に届きました。

コロナが始まって演奏会等が中止になってしまった期間を利用して色々とレコーディングをされていたようですが昨年その途中で残念ながら急逝。
それでもいつかそれらは発売されるだろうな、いや、絶対にして欲しいと思っていました。
そうしましたらやはり関係者のご尽力により録音した分、最後のレコーディングが発売されました。

”彼は人生の最後に貴重な録音を残してくれた”
(CDの帯より 音楽ライター 伊熊よし子氏)

いつもでしたら先生のHPから発注して”せんせ~、サインしといてくださぁ~い、あ、アスカさんへって書いといて下さいね~”
とあつかましくもお願いしていたところですが。。

この世からいなくなってもこうして立派に作品が残るのは良いのですが、それでも早くあちらに行き過ぎました、今でも”先生、どこにいるのですか?早く戻ってきてください” と言いたいです。

収録曲のうちの一つ、ショパン作曲 バラード第4番を一番楽しみにしていました。
バラード”1番”はフィギュアスケートの羽生弓弦さんが使用していた曲として有名になりましたが、私はこの4番は以前は全く好きではなく、
演奏会でこれがあるとほとんど寝てしまったり(すみません)、辛気臭くて退屈でどこがいいのだと若い頃は思っており興味はありませんでした。

でも昨年のショパンコンクールではこの曲の名演も多く、
だんだんと深みのある渋い曲、哀愁のある曲も昔に比べ好むようになってきたこと、歳を重ね曲の好みも以前とは少し変化しました。

そして先日日本で行ったピアニストの演奏会でもこの4番の名演を聞き、一層興味が出てきました。
昔好きじゃないと思っていたのはこの曲であまり名演を聞いたことがなかったせいもあるかもしれません。
バラード4曲中最も難しい曲で、ともすれば表現も単調になり私が思っていたように退屈になりがち、そしてクライマックス部分は技術的にも難しい。

バラード4番を録音されているのは事前に知っていたので、
斎藤先生ならどんな演奏だろうと楽しみにしていました。
聞いてみて何と名曲なのだろう、若い時”つまんない”と思っていてごめんなさいね、4番さん(笑)という気持ちです。

ということで今更ながら取り組んでみようと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

3年ぶりにやっと・・・


(日本初のクラシック音楽コンサート専用ホール、大阪 ザ・シンフォニーホール)

しばらくぶりの投稿です。
約3年ぶりに日本に一時帰国をすることができ、様々なことを楽しんで参りました。
コロナの間に身の回りの状況も変わり、日本ではただただ遊び呆けるだけではなく様々な用事もございましたので生徒さんたちには少し長くのレッスン休止となりご迷惑をお掛け致しましたが、ご理解いただきまして御礼申し上げます。

宿題だけでなくちょっとした課題も出しておきました(内容はヒミツ)
成果を楽しみにしていますね。

さて、滞在中にはタイミングよく聞きたかったピアノの演奏会がありましたので、
友人に手配を頼み一緒に行ってきました。

大阪の”ザ・シンフォニーホール”。

子供のころからよく行っていたコンサートホールですが約10年ぶりに行きました。
学生時代もコンサート時には周辺のお店にもよく行き、ホール楽屋前でアーティストの出待ちを何時間もしたり、サインをもらったり、コンサートだけでなく色々と思い出があります。

今回は周りをじっくり散策する時間はなかったのですが、
昔からあって覚えていた店、新しく出来たお店、そしてホール裏にはタワーマンションが建っておりここに住みたいなと思ったり(笑)

昔はホール裏は大阪ABC朝日放送の社屋とホテルがありました。(現在は放送局は大阪の他地域に移転)
ですので周辺では時々芸能人、著名人もおみかけしたものです。

コンサートは昨年のショパン国際ピアノコンクールで2位を受賞したアレクサンダー・ガジェヴのオールショパンプログラムリサイタルでした。

すでに有名ピアニストでありましたのでコンクールでも前評判は高く、
コンクール時のオンライン配信でも興味を持ってずっと聞いておりました。


会場はほぼ満席、クラシックコンサートではめずらしいことです。
関心の高さが伺えます。
現在は日本でもおそらく”ブラボー!”等の声かけは禁止なのか、聴衆はおとなしかったですが何人かのスタンディングオベーションもありました。

オールショパンプログラムだったものの、直前で一部変更があり、
ショパンからドビュッシーの練習曲になっていたものもありました。
聞きたかった曲なので少し残念でしたが、右人差し指をテーピングしているのが見えたり、他の曲も正直コンクール時の方がよかったかな、と私は感じましたので若干不調だったのかもしれませんね。

でも、美しい音と流れは抜群、
透き通るような音はこのホールと楽器(Shigeru KAWAI)と融合しておりました。

そしてショパンのマスターピースの数々を久しぶりに素晴らしいホールで聞けたことは嬉しく、又こういう様々な機会がある日本はやはりいいなぁと羨ましく感じました。
演奏者のガジェヴ氏は日本ツアーの最中で、翌日には福岡だったそう。
氏のTwitterでも演奏会の他に日本を楽しんでいらっしゃる様子が度々投稿されており、日本が居心地のいい最高の環境であったようで嬉しいです。

シンガポール交響楽団のHPをみていますと、こちらもだんだんと海外から著名演奏家が来星してくるようです。
オンラインコンサートよりもやはりライヴで!
と思いますが、情勢も見つつ、出かけられる時は出来るだけ聞きに行きたいと思っています。

あとはファンである関西の某人気球団の試合も見に球場に足を運びました!
久々に勝ちゲームを見ることができ(いつも負けることが多かった・・・・)、
もちろんまだ大きな声をあげての声援はできませんが、観客と一体になって応援する快感をこれまた久々に味わい帰ってまいりました。

2022年もあっという間にあと半分弱となりましたね。
後半も皆さんと楽しくレッスンをしていきたいと思います。